9人委員会インタビュー
株式会社 万インターナショナル 代表取締役
村上 裕子さん

着物と人が互いに輝き合うように

UP DATE _ 2016.05.13

人生に火をつけたタンスに眠る一枚

 私はずっと、絵に描いたようなごく普通の専業主婦でした。会社の経営に忙しい夫、中学生と小学生のヤンチャな息子が二人。食事や家事に心を配り、いつも家族が健康で機嫌よく自分の仕事や勉強に打ち込めるように、くるくると動きまわる日々を送っていました。結婚前にはアパレル関連の企業で働いていましたが、仕事と両立することよりしっかりと家庭を守ることに生きがいを感じていたのですね。
 ある日、引っ越しが決まって荷物の整理をしていたら、タンスの引き出しからシツケ糸がついたままの着物が出てきたのです。今まで着物を着る機会などほとんどなくすっかり忘れていたのに、手に触れた感触や、色、持ち重りのする和服の素材などに惹かれている私がいました。このままではもったいない。「着付けを習ってみようかな」とふと思い立って着付け学校へ通い始め、そこで人生の師となる方に巡り会いました。着物文化の研究を極め、着付けという仕事を通して女性の自立を説き続けた清水とき先生です。
 清水とき先生は大正のお生まれ、お母さまは当時の東京服装学園の経営者で、「これからは洋服の時代」と洋裁を通して女性の自立を支援したそうです。でも娘の清水先生は、それだけでは日本の素晴らしい着物文化が姿を消してしまうと危惧し反抗なさった。私たちが知らない昔から、母と娘が「洋服と和服」それぞれの立場から力を尽くして生きていらしたのです。着付け学校でお目にかかった清水先生は90歳近く、目に涙をためて着物文化が失われていく無念を熱く語られ、お稽古事のつもりだった私をたじろがせるほどでした。
 私の着付けへの思いは強くなり、技術習得でいつも一番を取ると力みながら学び、最期の花嫁の着付け試験に望む日がやってきました。もうお身体がだいぶ弱っていらした清水先生は、やっとのことで立ち上がり「村上さん、この紐を取りなさい」と手渡してくださった。「着付けは力技じゃない、相手への思いですよ」と諭してくださるようなきれいで小さくやわらかい手でした。
 きっと私はこの瞬間に「着付けを通して、人や着物文化に何かしたい」という「種火」を清水先生からいただいたのだと思います。それから私は、染元、織元、文様や手描きなどの職人を訪ね歩き、教えを請い、貴重な着物文化を次世代に残したいと痛烈に思いました。

家族は成長する

 目の前に広がった着物の世界に強く引き寄せられて、私はやがて起業まですることになりましたが、妻や母親に急激な変化が起きると、夫も子どもも寂しさや心細さを感じるものだと思います。我が家でもやはり、その家族の気持ちは痛いほど伝わってきました。夫は優しい人柄で、そんなことはまったく言葉にしませんが、子どもたちはなんとなく口数が少なくなっていく。当時は苦肉の策で、自分の小さな勉強スペースを確保し、子どもたちから勉強の仕方を教えてもらうことにしました。まさか、お母さんが勉強するなんて!(笑) でも、知りたいことがたくさんあるから助けてと頼むと、私のやりたいことを分かち合ってくれるようになっていきました。家事がおろそかになることを夫に謝ると、「大変なこともあるだろうけれど、辞めちゃいけない」と必ず背中を押してくれます。この家族の応援がなかったら、今の私はありません。
 この後、夫の会社が倒産し、もう着物の仕事もここまでと何度も苦境に立ちました。着物の素材を用いてデザインするドレスやワンピース、そしてバッグなどは好評をいただいていましたが、帯や着物は高価なものも多く、またオリジナルの一点ものの製作はそれなりに時間もかかります。ビジネス能力に乏しい私は、いい素材で美しい製品を作ることに一生懸命になり、採算を取ることまで頭がまわらないのですが、それでも幸運なことに夫が支えてくれました。「きっと何かできる。諦めちゃいけないんだよ」という言葉に、精いっぱい力を振り絞ることだと覚悟しました。

着物から授かった幸せなライフワーク

 苦しみ悩む中で思い出したのは、恩師である清水とき先生の「苦しい時こそ人に幸せの種蒔きを」という言葉でした。戦後、人々が大変な時代に必要なことは「幸せの種」だとお話くださったのですが、そのために私が出来ることは何か。着物ってどんな幸せを届けてくれるのか。ハッと気づいたのは、着物を着た瞬間に、みなさんが楽しげに鏡を覗き込み、「私にも似合うのね」とか、「着てみたかったけどハードルが高かった」と言いながらあふれるような笑顔を見せてくださることでした。「美しい」、「華やか」、「似合う」、「人にほめられる」。着物には「幸せの種」がたくさん詰まっているのに、今までは人と着物が繋がっていなかったのです。気軽に着るチャンスこそが必要だったのですね。
 そう理解してレンタル着付けの活動を始めると、驚くほど多くの方が来てくださるようになりました。日本女性だけではなく駐在大使夫人などにも広がり、年間延べ900人を超えるほどです。ちょっと気後れするという人でも、一度勇気を出して袖を通すと顔が輝き、着物も輝いて見えます。一番幸せなのは、それを見ている私なのかも知れません(笑) 。会社帰りに立ち寄ってくだされば、さっと着付けてそのままパーティにも出かけていただけます。たくさんの着物と人が出会うチャンスをお届けすることが私の願いですね。

村上 裕子/Yuko Murakami
株式会社 万インターナショナル 代表取締役
1963年埼玉県生まれ。レンタル着付けサロンを運営し、年間900人を超える幅広い世代に着物の美しさと楽しさを伝え続けている。また伝統技術の工房をはじめ、染や織りなどを日本の職人から学ぶ。着物を活かし洋の立体裁断、縫製でドレス、ワンピース、バッグなどの製作販売を手がけ国内外に多くのファンを持つ。夫との間に2男がある。

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