
映画監督 奈良橋 陽子さん
「自分の光」 「自分にとっての夢」をまずきちんと掘り下げること。
UP DATE _ 2016.05.27DoCLASSEは、美しくいきいきと年齢を超えて輝くあなたを応援し広いジャンル、世代から、輝く勇気を放つ女性のインタビューを続けます。スタートは、太陽のように明るく熱い、映画監督の奈良橋陽子さん。その自由な価値観には、心を解き放つヒントがあふれています。
もう3本は新しい映画を撮りたい。
『手をつないでかえろうよ~シャングリラの向こうで~』という映画を撮り終わったばかりです。30年来の仲間だった俳優今井雅之さんが原作・脚本を手がけた物語で、亡くなる前に完成を託されて私が監督を引き受けました。無事に公開にこぎつけることが出来てとても嬉しい。生きること、恋すること、そして親や友人とはと深い問いかけがある素晴らしい作品なの。きっと40代、50代の胸の奥に響いていくと思います。
映画や演劇制作を手掛けるのは本当にやりがいのあるライフワークですが、資金と時間と膨大なエネルギーが必要です。作り手の魂をすべて注ぎ込んでも、まだ足りない。もっと何かできるんじゃないか、やり残していないかと思うんですね。かつて、何年も前ですが、いろいろな要因が重なって、誰よりもポジティブなこの私が、先行きの時間を考え始めて創作を終わりにしようかと落ち込んだことがありました。
気力もなくテレビを見ていたある日、ドキュメンタリー番組で70代の帯刺繍の名人が弟子を叱っている場面が映しだされたの。その方は『源氏物語』のすべてを帯に刺繍にする構想を練っていたのですが、弟子たちが準備したサンプルを見てひどく怒っていたのね。「源氏物語は千年を超えた芸術だ。この帯もそれにふさわしく千年後に残るものにしなければならないのに、なぜこんなに安易な試作を持ってくるのか」と。弟子たちは師の年齢を思いやって、存命のうちに完成させてもらおうと心を配ったのでしょう。でも名人の言葉で私は目が覚めました。自分自身が未来の限界を作ってどうするのって。
年齢を重ねると、その数字に惑わされていろんなことをカウントするようになるでしょ。あとどれくらい元気でいられるか、今から何かを始めていいのかと、先細りに備えようとする。毎日生きているのになんてもったいない(笑)。私はあと3本は映画を撮りますから、楽しみに待っていてくださいね。
座って考えても答えは見えない。行動すること。
5歳の時、外交官だった父がカナダに駐在することになり、一緒に行きたいと言うと父はすぐOKをくれて、帰国するまでの11年余り海外で成長しました。思う存分スキーをやり、旅行に出かけ、自宅にはエジプト、スコットランド、南アフリカなど各国のゲストが訪れる。16歳で帰国する時には「国籍はどうしたい?」と娘の判断を大切にしてくれる。そういう環境で育ったので怖いもの知らずかもしれません(笑)。今日までパワーが落ちなかったのは、「君はどう考えるの?」と意見を尊重してくれた両親のおかげだなと感謝しています。
私は、若い頃に女優を目指していて、アルバイトでお金を貯め大学卒業後に渡米して演劇学校に入学しました。その国籍もルーツも違うたくさんの個性の中で、いつも突きつけられる思いは、「私は何者か?」ということなのですね。1960年代のアメリカには日本人がほとんどいなくて、中国の人かとよく聞かれました。でもその経験は、周囲に紛れ込んでしまわない「自分」を意識するきっかけをくれたと思います。何かを真似たり周囲に合わせたりするのではなくて、すでに自分の中にあるものを引っ張りだせばいい。難しく思い悩むよりも、その差異を知ることが大切なのです。
こんな私が、日本で仕事をしながら子育てをしていた頃、びっくりしたことはたくさんあるのですが、子供の小学校入学式の日のことでした。時間に追われる私は、いつものように動きやすいジーンズとデニムのジャケットで入学式に突入。「主役は子ども」と思っていたし、忙しいし(笑)。ところが参列しているお母さんたちは、朝の10時なのに普段見たこともない和服姿で、いつ美容院に行ったのというようなヘアセット。ああ、こういう文化なのだと分かったし、それでも子どもの入学を喜ぶ思いは同じよね、とも感じました。現実って本当にいろいろなことを教えてくれるのです。
座って考えていても何も変わらない、と私はよく言うのですが、なぜなら考えていることって今までの経験や知識の範囲内だけだから、どこにも新しい風の通る窓がないのと同じでしょ。その中で計算をしていても、知っている答えしか出てこないのは当たり前ではないですか。
努力のやり方はあります。「自分の光」「自分にとっての夢」をまずきちんと掘り下げること。人に理解してもらう必要はないから、ささやかでも突飛でも何でもいいの(笑)そこに向かって、行動し、目指し、学んでいってください。何かに興味があって前進している人の姿は、いきいきとしたホルモンがあふれ、それはそれは美しい。男女も何も関係なく、人間としての本来の魅力なのです。
あなたへの宿題。建前よりも本音よ、瑞々しい願いを探し当てて。
日本人は、自分の思いにコートを着せていると感じます。男性は企業のルールで戦士になってしまうし、女性も地域や家族内の役割を着込んでいる。子どもが生まれたら、女性の魅力はどうでもいいわというたくさんの人を見てきましたし。そういう私も、仕事と育児の両立に追われ、夫にとって素敵な女性でいられたかといえば落第生だったかな。でも本当は結婚しても愛人のような存在でいたかった(笑) 。それが自分の本音であることは自覚していました。残念ながら離婚という形にはなったけれど、愛し、愛されたい気持ちを伝えることは大切にしてきたと思います。
本当はその本音が最も大切なのに、私たちの日常はその気持ちを覆い隠していきますよね。年齢に縛られ、常識に従い、周囲の価値観に波風を立てないで過ごすうちに、「あれ、私ってどうしたかったんだっけ?」と分からなくなる。そんな時は深呼吸して、自分の声に耳を傾けるの。人間は、やっぱり一人ひとりの本音を生きるために生まれてきていると思います。隣や親戚と同じではなく、あなたの真実は何かしらということ。それはよい悪いではなくて、あなたの欲求でいいのです。
『アニー』という孤児の女の子の物語に、孤児院のハニガン先生という女性が出てきます。いつか親に会える日が来ると健気に明るく生きる主人公アニーを可愛がる土地の名士がいて引き取りたいとたびたび訪れるのですが、ずっと面倒を見てきたハニガン先生は面白くない。慇懃に名士を迎え入れつつ、ちょっと失礼しますと別室に入って、「悔しい、頭にきた」「惜しい」とかさんざんわめいて、すました顔で戻ってくるの。これが本音ということ。誰の評価も関係がなく、どこかに判断基準があるわけでもなく、ものさしはあなたの胸の中にある本心だけ。ここに行き当たると、自分は何を求めて生きようとしているのかが分かって、すごくすっきりとシンプルになるわ。
私の本音、生きる真実は、きっと映画や歌、舞台などを通じて、一生懸命な人を応援し励ますことかもしれません。体や心をこわばらせて縮こまらないで思ったことを言い、自分を解き放つ幸せを手にして欲しい。今、とても苦しい中にあっても明日はきっと良くなるよと抱きしめてあげたい。だってね、赤ちゃんとしてこの世に生まれてきた時から、やっぱりこれで幸福だなって自分を、命を愛せることが人の求めることだと思うから。
自分を縛らない、周りの人のことも追い詰めない。着たいものを着て、あら、年齢は重ねても、私って思ったよりも可愛いわねと見直すのも楽しい。若い人もそうです。インターネットで人が書いたことを検索しているより、もっと自然に自分を広げていくほうがいいわ。だって自分はここにいるのですからね。





